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<試験開始の前に> 今から問題用紙を配ります。問1に行く前に、問0(トイレ)に行っておいて下さい。 <休みの日に> 美術館にいってみた。とてもすばらしい絵があった。感動して買ってきてしまった。エカッター!(絵買った!)。 <新入生合宿研修から帰って> 担任クラスの学生(寮生)が、合宿所の土産物屋さんで買って帰ったバームクーヘンを、先輩達と食べようとして開けてみて、みんなで大笑いしたそうだ。なんとそれは合成樹脂でそっくりに作られた「見本」だったのだ。ホントに可笑しかった(お菓子買った)本当の話し。 <ホームルームの時間に> 教室にいってみると、体育の運動靴をロッカーに入れないで机の周りに放り投げている学生がいたので言ってやった。「靴が散らかっていては、クツろいで勉強できないだろ!。それにここを通るとき、キュウクツ(窮屈)だし、ひどくクツウ(苦痛)だ。私の言うことはリクツ(理屈)にあってるだろう。それともタイクツ(退屈)か?」 (学生はぽかんとしていた。ああ、私のイメージがまたクツガエ(覆)されたか...) <兄貴からのメールで> コンピュータ2000年問題で、奈良の兄貴は元旦から職場に出勤。コンピュータには問題は無かったらしいが、その影響で本人が「重症の風邪で苦しんでいる」、というメールが届いた。遠方から遊びに来ていたのに、「うつるといけないから、親父も孫も帰ってしまった。『風邪と共に去りぬ』だ。」、ときた。兄貴もなかなかやるもんだ。風邪を引いているだけに熱気は感じる。 でも、駄洒落の天才はやはり私のワープロだ。本当はコンピュータ2000年問題というのはコンピュータの問題ではなくて、正月からコンピュータに関わって仕事に精出すと身体を壊すことだったのだ。私のワープロはそこまで考慮して、コンピュータに専念問題、と打ち出してきた。わープロだ!と感心してしまった。(2000.1.6) <風邪の抜けきらない兄貴は> 正月に風邪にかかった奈良の兄貴は、まだ完全には回復していないようだ。休日でも散歩に出かける気力もなく、「ハナミズ(鼻水)を垂らしながら庭のハナミズキ(花水木)を眺めている。キが付くか付かないかでは大違いだと、キが付いた。」、というメイルだ。少しばかり「キのメイル」話しだ。(2000. 1.16) {花水木:ミズキ科の落葉高木、白い小さな花が咲く} <正しい方向> 最近はマッチで火を付けることはほとんどなくなったが、娘は理科の時間に正しい仕方を習ったそうだ。マッチ棒の端を親指、人差し指、中指で持ち、マッチ箱にあて手前に擦るのが正しい。ほとんどの人は手前から外側に擦っているが、これはマッチ外。(2000. 1.21) <遅刻の理由> 今朝1時限目の授業で教室に行ったら、19名も欠席していた。学生によると、私鉄電車で事故があったそうだ。1時間くらいたって、学生達が遅れてやって来た。「どうした?」「電車の事故です。」「このような場合には君たちの責任ではないが、これは自己責任だな。」(2000. 1.24) <兄貴の憂さ晴らし> 奈良の兄貴はゴルフが好きだ。先日回ったところは、滝や池をいくつも配置した綺麗なゴルフコースだったが、滝のあるホールではスコアを大きく崩したそうだ。その滝に、「オオタタキ」と命名したそうだ。(2000. 3.21) <授業での工夫> 長年教師をやっていると、数学の授業で学生により分かり易く説明をする工夫を自然にしているものである。私の場合には、要点となることは大きく板書し丁寧に説明をして、最後にその部分を黄色いチョークで四角で囲むようにしている。そしてひとこと、「こうすれば視覚(四角)に訴えるでしょう。」(最近の学生さんにはこのレベルの駄洒落が一番受ける。駄洒落も分かり易くなくてはならない時代になった...)(2000. 4.22) <駄洒落で誤魔化す> 数学の授業で、曲線のグラフを描いて囲まれた図形の面積を求める問題を、まずグラフを描いてから計算をしていたら、グラフの間違いに気が付いた。たまたまその問題は3番で、3番目の図だったので、「こういう図をズサン(図3)と言います。」(最近授業をしていて、しばしばこの手の駄洒落が自然に湧き出てきて、つい喋ってヒンシュクをかっているかも。)(2000. 4.25) <なんでも飾っておくもんだ> 里にいる姉からのメール。「今日の毎日新聞見ましたか? フェルメールだよりの欄に兄さんが写真入で載ってるのです。いつも美術関係の「学」識のある人が感想など語っておられる欄です。」 兄は、全く美術関係の素人。何かの間違いだろうと思いながら続きを読むと、「会社で他に絵に詳しい人がいなかったので推薦されて取材を受けた、とか。そう言えば、兄さんの家にも立派な絵がかけてありました。やっぱり「額」のある人は違うなー。」(2000. 5.22) <これがほんとの教育だ?> 試験が近づいてくると試験範囲が広くなるので、学生は授業をあまりすすめないように何かと質問してくる。そこで「今日の予定はここまでです。今日やると決めたことは、そこまでは必ず今日行きます。これがほんとの今日行く(教育)というものです。」(数学Tのクラスで授業についての要望アンケートをとってみた。その中のひとつに、「シャレがとても(本当に)くだらないので、これからももっと続けてほしい。」(原文のまま) というのがあった。私の教育効果(?)が浸透してきたようだ。中間試験も始まったが成績結果が楽しみだ。)(2000. 6. 4) <学生は数学が大好き?> 数学は、なぜか自分で鉛筆を動かして計算なり証明なりしてみて初めて理解できることが多い。公式や定理は覚えるのではなく理解することが重要だが、理解するためには演習問題をやってみることもひとつのよい方法である。そこで学生には、度々演習問題をやって提出する レポート課題を課すことにしている。学生は私の真面目(?)な性格に気を使って、洒落で感想を書いている者もいる。「代数幾何はダイスキカ(大好きか)と聞かれたら、大好きです。」「でも対数関数の方がもっと好きです。なぜなら log の問題をやっているとくつろぐことができるからです。」(学校も長い夏季休暇に入ったが、宿題は特に出さない。ただし、自主的に自由研究でも、問題集をやったものでも レポートにして提出したら点数をあげます、ということにしている。例年ほぼ全員が提出する。やはり学生は数学が好きなのだろう...)(2000. 7.16) <先生はお茶が好き> 先生は、東西を問わずお茶が好きだ。ほれ、ティーチャ(tea 茶)という。ちょっとお茶にしようか。あれ、急須(きゅうす)がないぞ。万事キュウス(窮す)。(2000. 9. 5) <なんとかしてくれ> めずらしく教卓に花が飾ってあった。ペットボトルに水を入れてその辺の草花をちょいとさしたものであるが、我がクラスには気の利く学生がいるものだとうれしくなった。ところが3週間もそのままで花の面影は微塵もなくなり水も濁って臭くなってもそのままだ。「もうこれは捨ててくれないかなー」と近くにいた学生にいってみたが、知らん顔をしている。思わず「水臭いなー」。(2000.10. 4) <何か書いておけよ> 私の誕生日祝いに、学生から駄洒落をプレゼントされたので(ちょっと付け足しアレンジして)紹介する。 テスト中。 先生「この問題は、解答欄に解解く(書いとく)ように。ん?君、何も書いとらんじゃあないか。」 学生「はい、解答欄です。」(2000.10.24) <今日は大雪> 昨日は朝6時40分に車で自宅を出発。大渋滞で職場に着いたのは11:20分。なんと4時間40分かかってしまった。これも雪のため。スリップして大破した車をあちこちでみかけた。1,2時限の数学1と、3時限の数学3はやむなく休講。 次の朝まで大雪(写真:雪景色)が降るとの予想だったので、家には帰らず教官室で夜を過ごしたのは正しい判断であった。こんな日に車で家に帰るのは恐い。雪(逝き)はヨイヨイ、帰りはコワイ。(2001. 1.16) <もうからない話> 散髪屋さんで刈ってもらっている間に話しかけられたりするのが苦手である。そこで、自分で自分の髪ぐらい刈れるだろうと考えて電気バリカンを買ってきたが、やはり難しい。せっかく買ったのだから元を取らないとというわけで、最近では妻に頼んでやってもらっている。多少技術的に問題はあってもむろん文句を言う気はない。妻からは、「私はぜんぜん儲からないのだから」と言われ、「もう刈らない!」ことになったらまずいし、「儲けはない(もう毛はない)」と言われるのもつらい。(2001. 5. 9) <無いと淋しいもの> 初めて、「2乗して−1 になる数、虚数単位 i 」 なるものを教わったとき、これはどうも実数とは違う現実味のない数ではないか、という感じを受けたのは私だけであろうか。1年のクラスで、この虚数単位 i の話をして、「自然数や、分数、無理数などの実数と違って、どうも i は存在するような気がしない人?」 と聞いてみたら、やはり何人かの学生が手をあげた。「実数だってどこにも存在しないといえば存在しない。我々人間が頭の中に勝手に想像して存在しているものでしかありません。そういう意味では虚数も実数も対等に我々の頭の中で存在するものです。だいたい i (愛)がなかったらこの世はつまらないし淋しいです。」(2001. 5. 11) <とてもついていけん> キルケゴール著「死にいたる病」は次のように始まる。 『 人間は精神である。しかし、精神とは何であるか? 精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか? 自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係することなのである。 人間は無限性と有限性との、時間的なものと永遠なものとの、自由と必然との総合、要するにひとつの総合である。総合というのは、ふたつのあいだの関係である。…… 』(枡田啓三郎訳:中央公論社) 高校の倫理社会の時間に、実存主義についての話で紹介され初めて目にしたとき、「こりゃ何かいな(難解な)? とてもついていけん。」 と思ったものだ。「死にいたる病」とは「絶望」のことであるが、これを癌についての本だと思っていた人もいるそうだ。(2002. 2. 2) <無防備> 「みどりの日」 は陸上部の試合の引率として、陸上競技場に出かけた。ハイレベルの選手たちの中にあって、我が校の学生たちもよく健闘した。この日は前面うす雲に覆われた観戦日和だったので、帽子もかぶらず一日スタンドで観戦していたら頭のてっぺんからこんがり日焼けして、頭を洗うのにヒリヒリしてひどい目にあった。日が射さない曇りでも紫外線は強烈だと思い知らされた。やはり無帽日(無防備)はひどい目にあうと、反省した。(2002. 4. 29) <違法駐車> ホームルームの時間。 「自転車通学の学生は、駅の駐輪場に自転車をキチンと止めるように。近くにある歯科医院の駐車場に自転車を止めている学生がいるらしくて、歯科医院の人から学校に苦情が来ているそうですので、そのようなことがないように。」 こんなことで、学生に注意をしなくてはならない時代だ。 「歯科医院の駐車場に自転車を止めていると、当然歯科られます。」 内心してやったりと思っていると、一人の学生が、 「先生、その場合その自転車はやっぱり歯医者(廃車)にされますか?」 うちのクラスにはこんな学生がいて油断ができない。今日はやられた。(2002. 6.20) <私はハンサムな男> このところ忙しくて駄洒落が不調である。 テレビドラマによく出てくる私に良く似た目の大きな男優がいる。その男優がテレビに出てくる度に、妻からは 「そっくり。」 と言われる。 「やっぱおれはハンサムだなー。」 と言うと、「そう、ハン分サムい駄洒落を言うからハンサム。」 だと…。 それもこれも忙しいせいだ。(2003. 3.16)
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