> 『数学的思考(?)エッセイ』 の試み

5. 十分だけど必要ではなし
 「ああ、なるほど」 と思える話を聴いたときは気持ちが高揚して元気がでる。どんなことでも理解できたときは嬉しいものである。それが数学のように、すぐに生活に役立つものではなくてもである。生きる元気はこんなところにある。
 酒場のバーで、中学の数学の入試問題を話題に出したらホステスの人たちもみんな集まってきて、えらく盛り上がってしまったという話もある。うちの爺ちゃん、婆ちゃんはもちろん数学の素養も知識も持ち合わせてはいないが、子供にと思って買ってきた、何個かに分割された積み木を箱にキッチリ収めるかなり難しいパズルにハマッテしまった。この前、爺ちゃんは台所でめまいがして床にぶっ倒れ、婆ちゃんは目が痛くなり、ついに家内からパズル禁止令が出され、お陰で買ってきた私はお小言を頂戴した。
 難しいことを易しく話せる人は偉い。なぜなら人に生きる元気を与えることができるからである。そんな人に私はなりたい。が、ここでは易しい話を、わかりにくく話してみたい。

 さて、高校1年で学ぶ問題。「四角形がひし形であることは、その対角線が直交するための何条件であるか?」
 何のところは、十分、必要、あるいは必要十分のいずれかが入る。「十分条件」が正解である。
 生徒に「機械的な正解の出し方」を教えるのは極めて簡単なことである。しかしながら、今時の生徒にこれを理解させるのにはいささか苦労する。なぜなら、今時の生徒は国語力が極めて弱いからである。このことを理解することは、国語力があるための十分条件であるが、必要条件ではない。国語力があることは、このことを理解するための十分条件ではないが、必要条件である。.....このあたりでめまいを覚えた人は、いま急に立ち上がると、うちの爺ちゃんのようにぶっ倒れる心配があるから気をつけていただきたい。
 こんな例を数学の教材に用いると、たちどころに多くの数学嫌いや落ちこぼれをつくることができる。そこで次回からは、次のような例をあげて説明をしてみようと考えている。
 「私の話をよく聴いておくことは、数学で合格点をとるために必要であるが、それだけでは十分ではない。なぜなら、家に帰ってからしっかり復習もしておかなくてはならないからである。すなわち、数学で合格点をとることができる者は、私の話をよく聴き、かつ家でよく復習をした者だけである。さて、数学で合格点をとることは、私の話をよく聴いておくための何条件であり、何条件でないか?」 ....ますます数学嫌いをつくることにならなければいいが.....。
(2000. 1. 5)
 十分条件および必要条件の定義は、「pならばqである、が真の命題のとき、pはqであるための十分条件であるといい、qはpであるための必要条件であるという。」である。

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