はじめに だれでも 「何のために数学を学校で学ばなければならないのだろう?」 とため息まじりに思ったことがあるはずである。 「因数分解やサイン、コサイン、対数あるいは微分、積分なんぞ日頃の生活で使うことなどあるはずがない。π の値が、3.14であろうと3であろうと、そんなものは知らなくてもぜんぜん困らないではないか。」 このような疑問にあなたは答えを見い出せただろうか。 「数学を勉強するのは、物事を筋道をたてて論理的に表現したり、論理的に表現されていることを正しく理解する訓練のためだ」 とか、「数学は、物事を一般化あるいは抽象化して考えるのにいい教材なのだ」 とか、センセイはスマシタ顔でオッシャラレるが、「確かにそうかもしれんが、なにも苦労して数学なんぞを学ばなくてもそんな力は遊んでいても身につく」 と正直なところ思うのではないか。私は数学のセンセイであるにもかかわらず、そう思う。 むろん数学のセンセイがそう思っても、なんら論理上の矛盾はないのであるが、「じゃあ、なぜ数学を教えているのだ」 と問いただしたくなるのは人情というものである。私も私に問いただしたい。問われた私は、自信を持って答えるのだ。「以下のエッセイを読みなされ。知らぬうちにあなたの中に ”答え” が結晶となって存在していることに気付くでしょう。」 (果たしてそのように首尾よくいくといいのだが...。) |
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あとがき 物理学は、「自然界の現象の奥に存在する法則」を、観測事実に基づいて見い出そうとする学問である。一般に、物理学の理論体系は数学を用いて表現されるが、そこで展開される整然とした理論を理解したときの感動は、優れた絵画や音楽などから受ける感動に通ずるものがある。ただ、物理学や数学の高度な理論を理解することは、しばしば地道な努力を要する。 しかしながら、日常のなにげない生活において、我々は物理や数学的なものの考え方をしていることが数多くあることに気付く。物理学や数学の問題を考えているときふと浮かんだことや、逆に生活の中で数学的な考え方をしているなと感じたことなどを、エッセイにしてみたものである。 |