私には二人の娘がいる。二人とも極めて可愛い。そう思うのは親だけでこれを親馬鹿というのだと言う事は一応わかってはいるが、どのように客観的にみてもやはり他の子供たちよりずっと可愛いと思う。これこそが親馬鹿の親馬鹿たる由縁であると言うことも十分承知しているにもかかわらず、しかしそれでも内の子供は特別に可愛いと思う。ここまでくればそうとう重傷の親馬鹿であるということは百も承知しているにもかかわらず、しかしやはり他の子供より格別可愛いのは間違い無いのは明らかだと思う。このことこそが、……。これではどこまでいっても終わらない。
かわいい五才になる長女が、何かに付けて「どうして?」と聞いてくる。小さい子供だからといって言い加減に答えるのはよくない、面倒でも分かり易く説明してやらなければならないと何かの教育書でよんだような気がするので、なんとか説明してやる。そうすると、その答えに対してさらに、「どうして?」と聞いてくる。それで面倒だなと内心思いながらでもまた何とか答える。そうするとさらにその答えに対して、「どうして?」と聞いてくる。いいかげんうんざりしながら、ついに「分からない」と言ってしまうことになる。そうすると子供は、「どうして分からないの?」と聞いてくる。そこで「分からないものは分からない」と半分怒った調子で言ってしまう。それにも懲りず子供は、「どうして分からないものは分からないの?」と平気な顔をして尋ねるのには、ほとほとマイル。ここで子供相手にほんとうに怒るわけにもいかず、こちらの奥の手を出すことになる。「どうしてどうしてって聞くの?」 そうすると「だって分からないんだもん」 そこですかさず、「どうして分からないの?」…… いつのまにか立場が入れ替わってしまう。 ※こだま・あとだまについては…科学朝日(1991)12月号p.56 (別役実) (1991.11. 8)
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「全体と部分とが相似な図形」,これを自己相似図形という。フラクタル図形は自己相似である(厳密な数学的定義では必ずしも自己相似である必要はない)。 |