およそ他人 (ヒト) のためになる事など何ひとつしないで生きてきた私である。人生がそう面白いものとも思えないのは、ひょっとして他人のためになることをしていない所為 (セイ) かも知れないということに、恥ずかしながらこの歳にして気が付いた。 学生を前にしてこういう話は時々している。 「我々が死んだら天国か地獄のどちらかに行くことになるが、天国でも地獄でも行ってみれば違いはない。皆が輪になって座り、真ん中にはうまそうな、うどんがいっぱい入った大きな鍋が置いてある。ただ、おかしなことに、皆に渡されている箸が2メートルもあろうかという長いものなのである。 地獄の人たちは皆、我先に自分がたらふく食べようとして長い箸で悪戦苦闘している。だがその長い箸ではうどんは掴 (ツカ) めても、どうしても自分の口に持っていくことができず、やがてはお腹を空かしてもがき苦しむことになる。他方、天国の人たちは、その長い箸で掴んだうどんを、互いに自分の向かいに座っている人に食べさせ、皆が楽しく満足するのである。」 小銭が財布に溜まると重いので、箱に入れていると毎年4,5千円位にはなる。これを歳末たすけ合いに寄付したことがある。学生を前にして偉そうなことを言った手前というわけではないが、日頃他人のために何もしていないことの罪滅ぼしというほどの気持ちである。しかし、もともと寄付などしようという殊勝な気持ちの持ち主ではないので、これだけあれば酒が飲めて確実に一人(私)を幸せにできるなあ、などとつい思ってしまうようでは、とても人生を楽しくできるはずもないのは我ながらナサケナイ。 そうは言っても、他人のためにできる事など他にそうそう思いつくわけではない。それに、自分の人生が楽しくないので楽しくするために何かをしようなどという考え自体が不純な動機である。…などと勝手な理屈をつけて結局のところ何もしないという、ずぼらな困った性なのである。 それに人生がそう面白いと思えないのはそればかりではあるまい。という方向に考えを向けようとしている私は、もう地獄にでも行ってもがき苦しむしかあるまい。のであるが、これは「数学的思考(?)」エッセイであるから、人生がそう面白くない理由が他にもあるかも知れないと考えてみなくてはならない。 やはり、人生がそう面白いと思えないひとつの理由として、私の人生に「賭け」がないことであろう。元来私の職業は大儲けをするとか、大きな事業を成すことを目的とするスリルのある仕事ではないが、日常生活でも賭け的なことはほとんどない。それに性格的にひどく凝り性なのがわかっているから、競馬などにはいっさい手を出さないことに決めている。パチンコさえも止めた。博打的なことにハマったらそれこそ地獄である。 「宝くじ」も買ったことはない。今年の年末ジャンボ宝くじは一等が2億円だと聞けばだれでも心が動くが、宝くじが得な賭けではないことは期待金額を計算してみればすぐにわかることである。宝くじは、あくまで自治体に寄付をして夢をみるものなのである。 これら全ての問題をいっきに解決することを思いついたのである。すなわち、「溜まった小銭で毎年宝くじを買おう!」 当たるはずもないから、気持ちよく自治体に寄付することになり、他人のためになり、よって天国に行ける (かも知れない)。もしかして2億円が当たって生活が変わるかも知れないという賭けができ、人生が楽しめる。 (2002.12.27)
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期待金額: 変量 X の取り得る値が x1、x2、 … 、xn とする。また、X がこれらの変量を取る確率をそれぞれ、p1、p2、 … 、pn とするとき、期待値は次のように与えられる。 期待値=x1p1+x2p2+ … +xnpn 特に、変量が金額のときの期待値を期待金額という。 今年の年末ジャンボ宝くじは、以下のようになっている。
期待金額は144円である。このことは数学的には、宝くじ一枚を300円で買っても、144円しか還元が期待できない、ということである。 |