> 『数学的思考(?)エッセイ』 の試み

56. ものはこのように考える
 ろんり的 (?) な友人にホンロウされている。
 友人に尋ねられた。 「口を閉じたままで、腹減った、と言えるか?」
 たとえ腹話術ができたとしても、口を閉じたままでは言葉はしゃべれるわけがない。 「できない」
と言うと、友人は
 「口を閉じたままで、腹減った」
と堂々と口を開けて言った。
 なんだ、そういうことか。 へたにりろん的に考えるものではないな。

 友人は平気で自分の妻になんでも文句を言うそうである。 「正子はアホだ!」
その友人の妻の名が正子というのである。
 友人は私に向かって、「おまえは、とても奥さんにこんなことは言えないだろう」
と得意げに言うので、
  「そんなこたあない、僕だって言えるよ。」 と言ってやった。
 うちに帰って、私は私の妻に向かい、 「正子はアホだ!」 と言ってやった。
(私の妻の名は正子ではないことは言うまでもない)

 友人は、「割っても、加えても、掛けても、同じことだ。」 と言うのである。
 「そんな数あるわけないだろう。」
 「数ではない。 ウイスキーの話だ。 ウイスキーを水で割っても、ウイスキーに水を加えても、ウイスキーに水を掛けても、ウイスキーの水割りに違いなかろう。」
なるほど、そういうことか。

 「最近の女子学生のなかには、夜の風俗店でバイトしているものがいるそうだね。」
 「 いや、夜の風俗店で働いている女性が向学心に燃えて昼間学校に来ているんだ。」
はー、そうだったのか。

 「上着の下から下着がでているよ。」 と学生に注意してやった。
 「これははファッションです。」  と言われてしまった。
 数日後、朝の授業で教室に行くと
 「先生、髪の毛が立っていますよ。」 と学生が言うので、
 「これは昨晩7時間もかけてセットしたのだ。」 と言ってやった。単に寝癖が付いただけなのであるが…。

 すました貴婦人に向かって、「この豚!」 と言った男が訴えられた。
裁判長 「貴婦人に向かって、『豚』 と言うことは、侮辱罪にあたる。」
男    「じゃあ、豚に向かって 『貴婦人』 と言うのはどうなんで?」
裁判長 「それは、むろん罪にはならない。」
そこで、男は言った 「おい、そこの貴婦人!」
 なかなかのろんり的思考力の持ち主の、どこかで聞いたお話でした。

部下 「このような改革はだれも望んでいません。現に、会社の経営はうまくいっているではありませんか。あせって、この流れを変える必要など全くないと思います。」
社長 「君、君の言う改革とは、どういう意味かね。」
部下 「え、それは…。」
社長 「君の発言は、何年先のことを見据えての発言なのだ。」
部下 「え、…。」
社長 「今我が社で最も欠けていることは何だと思うかね。」
部下 「はあ…。」

 理詰めにたたみ込まれては、出てくる意見も出てこない。
 即答できるだけの考えを常に持ち歩いているわけではない。
 せめて、つぎのような流れにならないものだろうか。

部下 「このような改革はだれも望んでいません。現に、会社の経営はうまくいっているではありませんか。あせって、この流れを変える必要など全くないと思います。」
社長 「君、君の言う改革とは、どういう意味かね。」
部下 「読んで字の如くです。」
社長 「君の発言は、何年先のことを見据えての発言なのだ。」
部下 「なぜ何年先を見据える必要があるのでしょうか。」
社長 「今我が社で最も欠けていることは何だと思うかね。」
部下 「社員の気持ちを理解できる上役です。」

 「論理的に考えるということはどういうことなのか」 ということを論理的に考えてみたいのであるが、その論理的に考えるということがどういうことなのかがわからないままで論理的に考えることができないで、おろおろしている。
 人としてこの世に生まれてきたからには、何か永遠なものを残したいと思ったりする。しかし、永遠に残るものなど全くあり得ないことだということは、どのように考えても考えなくても、すぐに気づく。諸行無常である。ならば、生きる力は何がもたらすのだろう、と考えざるを得ないのであるが、考えても分かるはずもなく、にもかかわらず、人は生きているのである。 このような宿命にある人という生き物は論理的な生き物でありうるのであろうか。
 … といいながらも、数学的思考とは何かについて、数学的思考を試みようとするのである。
(2003. 4.23)

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