「わたくし生きていますが、生きる理由が見当たりません。そんな人間が、気が付けば親子でつながり、家族でつながり、友達仲間をつくり、恋人関係になり、夫婦で結ばれ、あるいは学校、会社、サークルなどの集団の一員であることによって、自分の生きる理由のようなものが生じているのです。 人はなぜ他の人とつながろうとするのでしょうか。家族や学校や会社集団の形成は、自分の存在理由から生じるのではなく、自分が他の人が生きていくために存在している、とお互い感じる相互作用によって生じているのです。一種の相転移(協力現象)が起こっているのです。そして、そうして形成された集団の中で人は生きる理由を見い出そうとしているのです。 すなわち、人が生きているということと、人と人との間には相互作用が存在している、という二つの事実によって自分は何とか生きているのです」 と書いてみた。どこかうそっぽいような気もするが、まあ何でも100%当たっているということはありえないだろうし、まったく当たっていないということもないだろう。人が生きるということについて応えるのは、野球で言えば、投手の投げる球が消える魔球でそれを打ち返そうとするようなものだ。ファウルチップでも上出来だ。 (2000. 8.25)
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強磁性体(磁石)は、なぜ鉄などを引き付ける力をもっているのか。磁石は、一つ一つの小さな磁石からなっている。すなわち、磁性原子の集まりである。ただし通常は、一つ一つの小さな磁石はそれ自体はどちらを向いていなくてはならないという理由を持たないので、勝手な方向を向いている。これらが集まると相互に作用し合う力が働く(これは単に磁石同士が引き合ったり反発しあったりする古典的な力ではなく量子力学的なものに起因している)。そして温度が低い状態であれば、局所的に小さな磁石が同じ方向を向くようになる。そのときの磁石の向く方向は、何らかのちょっとした偶然的なきっかけで決まってしまう。いったん系の向く方向が決まってしまうと、たちまちその周りに大きな影響力をもち、同じ方向を向いた大きな集団ができる(協力現象)。このようにしてできた集団をさらに同じ方向に向かせることによって、全体が同じ方向を向いた強い磁石になるのである。 ただし、もともと外部から強い磁場をかけられていれば、一つ一つの小さな磁石は(何も迷うことも考えることもなく)その外部磁場の方向に向いている。 では、なぜ磁性原子は最初から小さな磁石でありうるのか? |
家族や学校や会社集団は、なぜ生きる力をもっているのか。集団は、一人一人の小さな人間からなっている。すなわち、個人の集まりである。ただし通常は、一人一人の小さな人間はそれ自身は生きていかなくてはならないという理由を持たないので、勝手なことをして生きてよい。これらが集まると相互に作用し合う力が働く(これは単に人間同士が愛し合ったり憎みあったりするような単純なものではなく何か犬も食わないようなものである)。そしてシラフで冷静な状態であれば、地域的に小さな個人同士が同じ考えを持つようになる。そのときの地域的な集団の考えは、何らかのちょっとした偶然的なきっかけで決まってしまう。いったんその集団の生きる考え方が決まってしまうと、たちまちその周りに大きな影響力をもち、同じ考え方を持った大きな集団組織ができる(協力現象)。このようにしてできた集団組織をさらに同じ考え方にさせることによって、全体が同じ考え方を持った強い集団組織になるのである。 ただし、もともと外部から強い圧力をかけられていれば、一人一人の小さな人間は(何も迷うことも考えることもなく)その外部圧力の方向に向いている。 では、なぜ一人一人の人間は生きる理由を持たないで元来生きているのか? |
以下、内田樹著「寝ながら学べる構造主義」(文藝春秋)より抜粋 『 構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。 私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの味方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。……』 |