むかし、あるところに大きな二つの池がありました。 神様は、ひとつの池には 「ヨカヒ」 という魚を、もうひとつの池には 「ヨカトキ」 という魚をすまわせました。 それぞれの池には、卵からかえってすぐのものから、成長したものまで数百匹もいました。 ヨカヒもヨカトキも、成長したものは同じ大きさで、卵も生めます。 ところが、それらの池にはその魚より他には水しかなく、食べ物がぜんぜんありませんでしたので、つぎつぎと死んでいきました。 このままでは、両方ともすぐにぜんめつしてしまいます。 そこで、神様は考えました。 ヨカヒはヨカトキが大好物、ヨカトキはヨカヒが大好物。 だけど、自分よりちっちゃい相手しか食べることができないようにしました。 そして、二つの池をつなげてひとつの大きな池にし、ヨカヒとヨカトキの両方をすまわせました。 ヨカヒとヨカトキは食べ物ができましたので、お互いにはげしく食べあいながら子孫を残し、ともにいつまでもこの池にすみつづけているということです。 それからこの池は 「よかひよかとき池」 とよばれるようになりました。...とさ。 (よかひよかとき 「冗談童話集」より)
なんだかおかしいですか? エネルギー保存則に反するって? いや、そういうことではなくて、これもお互い助け合っているということなのかって? ヨカヒはヨカヒを食べることはできませんけど、ヨカヒを食べたヨカトキを食べることはできますよ。 この世でのものごとの良し悪しの判断は、他人を幸せにするか不幸せにするか、ということのようです。 自分を犠牲にして他人を幸せにすることは、最も良いこととされます。 自分の幸せを求め周りの人を不幸せにすることは、最も悪いこととされます。 結果的には、同じことのような気がしますか? でも同じことだとは言わないのです。 それもこれも、自分の種族が生き続けるためです。 よかひよかとき語録 「望んでなる不幸は不幸ならず 欲してなる幸福は幸福ならず」 (2005.11.28)
よかひよかとき池 親の付近に居れば安全ですが、それじゃあ食べ物にありつけないし...。 活発すぎると、個体数に差がでてくるような...。少ない方はそれでもしぶとく生き続けるようです。 自然に、ヨカヒの多い領域、ヨカトキの多い領域に分かれるようなことも...。 活発度を小さくすると、そのうち全滅するようです。 活発度が大き過ぎても、エネルギーを使い過ぎて全滅するようです。 どの程度、活発に生きるのが良いのでしょう。 |
よかひよかとき池にひそむ法則 棲んでいる魚: ヨカヒ (大きさ 1〜6) ●〜● ヨカトキ (大きさ 1〜6) ●〜● 大きさ1の卵の持つエネルギーは1、それ以外は 1〜15 のエネルギーを持つ。 大きさ1の卵は、一定の時間が経つと大きさ2、エネルギー5を持つ子になる。 卵以外の魚は、活発度に応じた一定の時間が経つとエネルギーが1減る。 大きさ6の魚は、エネルギー15を超すと、越したエネルギーに相当する分だけ卵を生む。 異種と接触したとき、大きい魚は小さい魚を食べ、食べた魚の大きさとそれが持っていた エネルギー分だけエネルギーを増す。 エネルギーが0になった魚は死ぬ。 それぞれは生まれてから一定の時間で寿命が尽きて死ぬ。 |