(1) 自分のために行うことの喜びは 0 他人のために行うことの喜びは 10 他人が自分のために行ってくれたことによる喜びは 1 人間の心というものが、このような仕組みに造られていたなら、この世の中はかなり楽しいものになっていたのではなかろうか。人間は、競って自分のためにではなく他人のために、いそいそと働き、にこにことしているに違いない。 残念ながら、現実の未熟な私の場合には、 (2) 自分のために行うことの喜びは 10 他人のために行うことの喜びは せいぜい 1 他人が自分のために行ってくれたことによる喜びは 10 これじゃあ、だめじゃん。 どうして創造主は、全ての人間を (1) のような仕組みにお造りにならなかったのだろう。これには、なにかきっと大 きな訳があるに違いない。それとも、自然に任せて造ったらこのようになったのだろうか? しかし、こうして眺めていたら、私の (2) もそれほど捨てたものではないような気がしてきたぞ。 (2) の仕組みで、自分のためにいそいそと働き、にこにことしていても、結局出来上がる世の中は (1) のものと見かけは同じではないか。もし、自分のためより他人のためにする行いの方が善いこと、だとしないで、自分のためにする行いも善いことだと思えるように、お造りになっていたら、 (2) でもよかったのではなかろうか。少なくとも、他人の不幸を自分の最大の喜びだ、と感じてしまうことさえ無くせば、どちらでも同じことなのではなかろうか。 創造主は、私をどうしようもなく人間らしくお造りになったものだ。 問. a、b、c の最も理想的と思われる値を、−10 〜 10 の範囲で与えなさい。 自分のために行うことの喜び a 他人のために行うことの喜び b 他人が自分のために行ってくれたことによる喜び c (2007. 1.29)
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