「物事はすべて成るように成る」 と言う人がいる。 もし言う人がいなければ私が言う。 何を根拠に? あるいは、成るように成るのは当たり前だ、だからどうだと言うのだ、 という声が聴こえる。 確かに、成るように成るしかないのだから、成るように成るしかないが、 どのように成るように成るのかを明らかにしないことには意味がない、と私も思う。 しかし、物の見方、考え方をちょっと変えるとそれだけで気持ちが楽になる、ということはよくあることである。 気の弱い私などは、「すべては成るように成るのだー、くよくよしてもしようがない」 と思うだけで、緊張して縮んでいた胃がやわらぎ、重力が半分になったように感じる。 だから、 どのように成るように成るのか、などと下手な考察はしない方が賢明である。 だが、数学的思考(エッセイ)であるからには、そうはいかない。 といっても、どうせ結論は目に見えている。 このようなことに答えが見い出せるわけがない。 成るように成るしかないのである。 ところで、石を投げると放物線を描く。 まさに、投げられた石は、その後は成るように成っている。 どのように成るように成っているかというと、 ニュートンの運動方程式にしたがうように成っている。 あるいは、運動ポテンシャルを積分したものが極値をとるような運動に成っている(ハミルトンの原理)。 また、光は空気中から水中に進むとき進む方向が変わる。 すなわち、屈折する。 光の進む方向は、成るように成っている。 どのように成るように成っているのかと言うと、ホイヘンスの原理にしたがって進むように成っている。 あるいは、光にとって通過に要する距離が最小、したがって最短時間で到達するように成っているのである。 Aより@の方が早く B点に到達する 石の運動や光の進む方向について、このように言えば、なぜそのように成るのかということを説明した気分になるが、さらに、ではなぜそのような原理が成り立つのだ、と問われれば、それに答えることはできない。 じゃあ、ただ言い換えて逃げただけなのか、というと、そうではない。 このような原理は、石の運動や光の進む方向についてだけではなく、もっと広く適用される原理だからである。 このことから(といっても挙げたのはわずか2例でしかないのだが)、 自然界では、何かの量が最小に成るように、あるいは、最大に成るように成る、ということが、「成るように成る」 ということの意味である、と考えるのもひとつの考え方であるように思うのである。 さて、人の世の物事も、すべて成るように成っている。 どのようになるようになっているのかと言うと、それは私には解らない。 解らないが、いずれにしても、何かが最小になるように、あるいは何かが最大になるようになっているに違いない、という考え方もあるのではなかろうか。 人が病気になるのは、長生きするための防衛システムである。 もしどこかが壊れても病気にならなければ、早々に全体が壊れる。 それを防ぐために病気になるのである。 私の頭の毛の数密度が小さくなったのは、これ以上モテスギて命を縮めるのを防ぐための自然の摂理である。 すなわち、この世の物事は、人が生きる時間を最大にするように成っている。 これが数学的思考(?)におけるその意味であるとしたい。 そうすれば、すべからく物事は成るように成るにまかせてみよう、と思えてくるというものだ。 物事はすべて 成るように成る。 願わくは、苦労が最小で 幸せが最大に成るように 成らんことを! (注 : 良い子の皆さんは、「どうせ成るように成るんだから、勉強なんかしなくてもいいや」 とは、けっして思わないようにしましょう。) (2006. 4.24)
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