> 『数学的思考(?)エッセイ』 の試み

38. 教師であることのパラドックス
 「アドバイス、できないことを人にいう」  という川柳がある。確かに自分にはできないことを平気で人には忠告するものである。

 数学、物理教師である私は、授業のときにはひたすら真実、事実を述べ、厳密に証明や計算を行って説明をしていればいいので、その意味では楽な商売である。ただ、計算間違いをし学生に指摘されることもしばしばであるが、だれが何と言おうと正しいことは正しいのであるから、「学問をやるためには、人はみな真理の前に頭(こうべ)をたれ誠実であらねばならない」 とか、「真理の前に人はみな平等である」 とか何とかもっともらしいことを言いながら訂正をすることにしている。さらに最近では、「私の間違いを指摘したら、1回に付き1分ほど授業を早く終える」 という学生との約束にしてお互いに緊張感を持たせている。 (ほんとうは時間を延ばすべきなのだが、学生は縮める方を希望する。)
 数学、物理だけを教えていられれば苦は無いのであるが、その他の面で学生に何かとアドバイスをしなければならないことが多い。できれば心に響くようなことをかっこよく言ってやりたいものだと思ってはいるのだが、特に若き頃の正直(?) な私は、自分にもできないことを学生に言うことにはどうも気が引けて苦悩したものである。 だが教師は、知っていても知らぬ振りができ、知らないことも知った振りができ、たとえ自分にはできなくても平気で学生に指導できないようでは務まらない。(私には不向きな職業だったのかも知れないなー。)

 陸上競技部の顧問の一人になり、試合の引率をすることが多いが、明日試合の日だとか、試合が終わった後のミーティングで顧問として「何か一言」という時に、素人の私にできることは、ナーバスになっている学生を励ましたり慰めたりすることでしかない。具体的な技術上での有効なアドバイスができればいいのだが、しかしながら何でもスポーツはメンタルなものが大きく影響するので、素人の言葉でも少しは役に立つことがあるのではないかと一人思うことにしている。
 さすがに、体育が専門の監督の先生のアドバイスは、経験に基づいた具体的で的を得たものでいつも感心させられるのであるが、なにも奇抜なことを言われるのではない。例えば、 「試合の日には緊張して口が渇いて飯が喉を通らないが、ゆっくりよく噛めば食べられる。必ずしっかり食べるように。」 とか、 「風呂に長くつかりすぎると筋肉が緩みすぎてよくないので、長風呂をしないように。」 というようなことである。ちょっとした事が結果に大きく影響するので、これらの適切なアドバイスはとても重要なことなのである。

 子どもの頃、兄貴は私より歳が5つ上で、当然のことであるが何をやっても兄貴にはかなわなかった。その後数十年、切磋琢磨(?)して、少なくとも自分の専門については兄貴よりは詳しいのではないかと思えるようになったのであるが、今でもやはり5つ年上であり、素人でも兄貴の意見には見過ごせないものがあることが多いように思う。有名な物書きがよく、「自分の作品のもっともよい批評家は自分の妻である」 というが、身内の遠慮ない感想や意見は本質を突くことが多いのだろう。
 私が大学生になる頃まで、先輩として兄貴が私に言った忠告のようなことがいくつかある。一般に肉親の兄弟や父、母の言ったことはよく覚えているものである。あまり世間では立派とはいえない父母や兄弟だったとしても、なぜか有名な人の言葉よりは立派な言葉のように思えて覚えているのである。それで、たとえば私が18歳でそのとき兄貴が23歳だったとき、兄貴が言ったことを今でもときどき思い出して、これはあの兄貴が言ったことだから間違いないことだとして、今度は自分より若い人に自信をもってしゃべっているのである。自分はそのときの兄貴の歳、つまり23歳はとっくに越しているにもかかわらず、そのときの兄貴の言葉を借りてしゃべっていたりするのである。23歳の若造の言うことなどとは思わないのである。これはいったいどういうわけであろう。

 思うに、教え教えられることにおいて最も重要な要素は、学問に誠実に対峙することにより培われる師弟の間の信頼関係であろう。数学・物理学がそのような学問のひとつであることは言うまでもない。尊敬し信頼できる人の言うことは自然に受け入れられ身に付くものであり、またそうでなければ身に付くものも身に付かないだろう。学生の前では時に演技もできる役者であることも必要であろうが、それ以前に師たるものは 「身内ほどに信頼される人」 でなくてはならないという結論になりそうだ。(これでは益々教師という職業が私には不向きな職業だったことを明確にしてしまったことになってしまう。...「自分にはできないことを人にいい」...とほほほほ。)
(2002. 7.13)
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 「自分でひげを剃れない人、私が剃ってあげます。当店におこしください。」 という看板を出した床屋の主人は、自分のひげを剃ることができるのだろうか。これは有名な、バートランド・ラッセルのつくったパラドックスである。
 「何人も自分にできないことをアドバイスしてはいけない」 (よかひよかときのパラドックス)

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