> 『数学的思考(?)エッセイ』 の試み


96. 真実というものは人生の役には立たない
 意見をしたとき、相手がむきになって反発してきたら、その意見は的を得ていたものである。もし的を得ていないものならば、相手は冷静さを失うことなく否定するだけであるが、的を得たものならば相手はそれを隠すためにむきになるのである。人の心理とはそういうものだ。ということに気づいたのは、かなり最近のことである。若いときには、意見そのものが真偽かどうかに心奪われ、相手の心理まで考える余裕はなかった。

 もっと若いときに気がついていれば、うまく事が運んでいただろうに、あるいは、もっと楽しく過ごせていただろうに、ということは、誰にでも1つや2つはあるはずである。どうして、こんな大切なことを人生の先輩は後輩に教えないのだ、とも思う。
 だが、教えるべきことが多過ぎて、すべてを教えることなどできないことだし、また大切なことは人に依って異なるし、あるいは、いくら言葉で教えられても、自分がその状況にならなければわからないということもある。結局、大切なことは後からわかる、とか、なるようにしかならない、という呆れた結論になる。

 私は、この呆れた結論に高校3年生のときに気づいていた。だから、高校最後のホームルームの時間に、「後輩のために言っておきたいことを各自述べよ」 と言われ、私の番になったとき、「何もない」 と言い、教師から 「何か1つくらいあるだろう」 と言われ、しかたなく、「すべてはなるようになる」 と言い、教師には 「常に最善を尽くせ、と言うことだな」 と見当違いの解釈をされたが、めんどうなので 「そうです」 と言ったことを憶えている。

 あれから35年経った。役に立たないことが真実であるとは言わないが、真実は役に立たない、ということは真実なのではないか、と全く役に立たないことを相変わらず考えている私は、35年前と考え方がなにも変わっていないようだ。 ただ、変わらない考え方というものは、進歩がないと言われることはあっても、不変だから真実である、ということにはならないのが残念である。

 「およそ真実というものは人生の役には立たないものである」
(よかひよかとき 「役に立たない語録集」 より)

(2005. 4.14)
▼(ぱろでぃ)
 誤解を恐れずに言うと、云々、という言い方があるが、そのようなときは、誤解を恐れて何も言わない方がよいのかも知れないが …

 例えば、「その人に耐えられない試練は、その人に与えられない」 だとか、「報われない努力はない」 などと言われる。論理的な思考のできる著名な人でさえ言うように思う。もっとも、挫折した人や無名な人が言っても様にならないが。
 しかしながら、試練に耐えられなく挫けた人々や、努力したのになんの成功も成し得なかった人々の方が圧倒的に多いはずである。そこで、「自分に耐えられない試練が与えられることがある」、「報われない努力がある」などと挫折した人、成功しなかった無名の人が堂々と真実を発しても、だれも耳を傾けない。真実は人を元気にしないし、役に立たないどころかやる気を奪いかねないこともあるからであろう。

 特に良い子のみなさんは、「真実は、使用上の注意をよく読んで使いましょう」
(よかひよかとき 「役に立たない語録集」 より)
▼(新文体)
 「1足す1は2だ」は真である。意見ではない。
 「天災は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦) は真ではない。意見である。役に立つ意見である。
 「天災はいつでもどこでもやってくる可能性がある」(よかひよかとき) は真である。意見ではない。真であるがなんの役にも立たない。

 真でないものを含んでいるものが意見である。真のみからなるものは意見とは言わない。


 そのように考えていた若き時代の私は、意見を言うことはできなかった。完全に正しいと確信できないことを、さも正しいことかのような顔をして言う賢さを持ち合わせていなかったからである。


 さて、意見のひとつくらい言ってもいいと思える歳になったのでちょっとだけ発言させてもらおうと考えたのだが、言いたいことを上手く表現することができない。言いたいことを正しく言うには、新たな文体を導入したらどうだろうか、ということで、次のようになった。


私の発言="意見と言うものは、真ではあり得ません。真であるならそれはもはや意見ではなくただ真理を述べただけのものです。我々が生きていく上で役に立つのは、真理ではなく意見の方であることが多く、したがって意見を述べることは歓迎されてしかるべきことです。";

繰り返す(私の発言が偽であるならば)
{
 私の意見=私の発言;

 私の発言="私の発言が真なら意見とはなり得ず、ただ真理を述べただけのことで何の役にも立たないものです。";

 もし私の発言が真ならば、私の意見は無かったことにしてこの繰り返しから抜け出る。
}


 文体は、時代とともに変わる。近い未来には、このような文体が用いられるかも知れない。このような文体でないと言い表せないこともあるのではないか、と思う。

 
(追記 2022. 7.17)

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