「リンゴは皮をむかんで食べるもんじゃ。皮と実の間に滋養分があるんじゃけ。」
祖母はそう固く信じていて、リンゴは皮をむかないで食べていた。40年も前の話である。素直な子供の私は特に疑問も持たず、妙に納得していたように思う。 このような祖母がときどきぽろっともらす言葉、他に例えば「湯の温度は茶碗に注いだときの音でわかる」などは、子供の私には新鮮な驚きであった。昔のことだから、ろくに学校も出ていなかったであろう祖母であるが、自然に体験から身に付けたそのような知恵は、科学的にも説明できる真実が多かったのかもしれない。 ところが一人の兄が、 「リンゴは皮と実でできているんじゃけー、その間には何もありゃせんが。」 と言い出した。確かに、皮をむいたらすぐ実になってしまう。そのとき祖母がどのような顔をしたかは記憶にないが、おそらく余裕の表情で野良着の繕いの針仕事の手を休めることもなく、にこにこしていたであろう。 そして今考えるに、祖母のこの言葉は意外と真実を突いた意味深いものなのかも知れない、という気がしているのである。河合隼雄氏は著書「猫だましい」のなかで、「一本の線分を二つに切断するとき、それぞれの端に名前をつけて明確にすると、必ず抜けおちる部分がある。」と言い、さらにこのことを、「人間存在という連続体」に当てはめてみると、「心」と「体」という明確な部分に分けた途端に失われるものがある、それを「たましい」と考えてみてはどうだろうと言っている。 (2000. 9. 5)
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「Dedekind の定理:実数の切断は、下組と上組との境界として、一つの数を確定する」 すなわち切断(A、B)が与えられたとき、一つの数sが存在して、sはAの最大数またはBの最小数であり、初めの場合にはBに最小数はなく、後の場合にはAに最大数はない。高木貞冶著:「解析概論」より。 (余談:私はこのたび日本嘘つき学会の正会員になった。この学会の会長は、確か河合隼雄氏であったと記憶している。なお、河合氏によると、日本嘘つき学会なるものは、どこにも存在しないそうである。) |