> 『数学的思考(?)エッセイ』 の試み

49. 13日の金曜日
 我々が小学生の頃学校の先生は、テスト問題や生徒への配布資料を作るのに、蝋(ろう)を塗った原紙に鉄筆で文字を手書きしガリ版で一枚々印刷されていた。
 今はすべてワープロやパソコンでさっとできる。修正も簡単にできる。保存しておいて次の年度にも使うというズボラもできる。
 教材や資料作りばかりでなく、成績処理や学生への連絡にいたるまで何もかもパソコンでやる時代になった。
 便利である。仕事がはかどる。時間にゆとりができる。だからお茶でも飲みながらゆっくりものを考えることができる … 。 はずなのである。
 が、なぜかそうはならない。やたら忙しい。 弁当を叩きながらキーボードを食べているから、妻から 「今日の弁当のおかずは何だったか言えよ」 と質問されても 「記憶にございませんが、おいしかったです」 というしかない。 昔より忙しくなった。なぜだ?
 我々は余計な仕事を自分で作って忙しがっているのではないか (このような駄文をHPに載せるというような… → これは休日に余暇としてやっていますのでお見逃しを)。

 今日はそういうことがテーマではなくて、遠距離恋愛である。現代は、電話や電子メールのおかげで、遠距離でも恋愛ができる。何百キロも離れていても隣に住む見知らぬ住人より、はるかに近い存在となる。電子メールのやり取りだけで、見知らぬ人と恋におち結婚に至るペアもあるそうである。恋もパソコンでやる時代なのである。

 時は、電子メールも電話もなく、遥か遠くに住む恋人との連絡に手紙しかなく、手紙を出してそれが相手に届くのに5日も要していた時代。
 既に何通かのやり取りがあり二人の仲は順調にいっていたので、おれ(男)は今日届いた彼女からの手紙をいつものように心弾ませて開封した。 ところが、他に好きな人ができたので、お付き合いはこれっきりにしてほしいという内容であった。突然の彼女の心変わりに、おれのショックは隠せない。そういえば、今日は13日の金曜日だ。

 おれは考えた。彼女の心変わりを知ったのは確かに今日であるが、手紙が届くのに5日掛かっている。ということは、心変わりがあったのは5日も以前のことだ。この5日間おれは何も知らず幸せに暮らしていた。果たして彼女に振られた日は、5日前の8日の日曜日とすべきか、それとも今日13日の金曜日とすべきか。 (電子メールなら、このような問題は生じない。いや正確な時間まで問題にしたら やはり … )

 遠距離恋愛がテーマといいながら期待されるような色っぽい話にならないのは、数学的思考エッセイの宿命であるから許されたい。

 彼女と最後にデートしたのは、この前の金曜日、お互いの中間地点であった。そして彼女は上り電車に、おれは下り電車にそれぞれ乗った。彼女の手を振る姿が見えなくなったのは、ちょうど8時。思えばそれが彼女との永遠の別れの時刻。
 いや、待てよ。手を振る彼女とおれとの間には30mの距離があった。光が届くのに0.0000001秒掛かるから、彼女とおれは8時より0.0000001秒前に既に別れていたということか。

 どちらが正しいのだ。そのとき彼女の乗った電車が発車したのだったか。それともおれの乗った電車が発車したのだっか。おれには記憶がないのだ … 。

 思うに、昔の先生は鉄筆で文字を一字一字手書きしながら、ものをゆっくり考えられていたのではないか。子供たちの顔を思いうかべながら。
(今日は2002.12.13(金))
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 もし、おれは静止したままで、彼女の乗る電車が去っていったのなら、8時より0.0000001秒前に既に別れていたということになる。(彼女がおれから去っていった:自分不動説:天動説)
 もし、彼女が静止したままで、おれの乗る電車が去っていったのなら、8時ちょうどが別れの時刻ということになる。(おれが彼女から去っていった:自分移動説:地動説)
 彼女がおれから去って行ったのか。おれが彼女から去って行ったのか。それが問題だ。

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