> 『数学的思考(?)エッセイ』 の試み

7. いくら暇な人生でもねー
 例えば、「鉛筆」という言葉を辞書(*)でひいてみると、「筆記用具の一つ。細筆大の木の軸に、粘土を交ぜた黒鉛の芯を入れたもの。絵をかくにも用いられる。」と書かれている。そこで「ちょっと鉛筆を貸してくれ。」と言いたいときは少々面倒くさいが、「ちょっと、そこの筆記用具の一つで、細筆大の木の軸に、粘土を交ぜた黒鉛の芯を入れたものを貸してくれ。」と言えば、鉛筆という言葉を使用しないでもよい。ということで、「鉛筆」という言葉を私の辞書から削除しよう。
 さらに「筆記」とは、「見た事・聞いた事や尋ねられた事を、紙やノートなどに書くこと。」とあるので、「ちょっと、そこの、見た事・聞いた事や尋ねられた事を、紙やノートなどに書くための用具の一つで、細筆大の木の軸に、粘土を交ぜた黒鉛の芯を入れたものを貸してくれ。」と言えばよいので、「筆記」という言葉も私の辞書から削除しよう。
 さらに「用具」とは...、と思ったところで、これで本当に「鉛筆」を貸してもらえるものなのかどうかちょっと試してみたくなったので、そばにいた中1の娘に、「ちょっと、そこの、見た事・聞いた事や尋ねられた事を、紙やノートなどに書くための用具の一つで、細筆大の木の軸に、粘土を交ぜた黒鉛の芯を入れたものを貸して。」と言ってみた。娘は「なにそれ?」といってぽかんとしている。もう一度ゆっくり言ってみる。それでも何のことかわからないようだ。そこで、「鉛筆」や「筆記」という言葉を知らない人がそこの鉛筆を貸してもらおうとしたらこう言うしかないだろうね、と説明してやったら娘は、そんな長ったらしいことを言わなくても、「ちょっとあれ貸して。」言うたらいいじゃないの、と不服そうに言われてしまった。
 まあ実際には娘の言うことが正しいと思うがここはそういう問題ではなくて、とにかくこの様な作業を暇にまかせて、とことんやってみたとしたら、私の辞書にはいったい幾つの言葉が、またどんな言葉が残るのだろうか。暇でなくても今なら、パソコンでも使えば容易にできるだろう。
 このような作業によって最後に残った言葉を、仮に「基本語」と呼ぶことにする。どの言葉から削除していくかそのやり方によって最後に得られる基本語は全く異なったものになることは予想されるが、まあとにかく一方法で基本語が得られたとしよう。
 さて、次の段階の作業に行く。例えば、基本語AとBについて、それぞれの意味、すなわちA、Bの内包するところの概念というものに、一般には重なる部分があるだろう。このときは、この重なる部分のみを内包する新しい基本語Cを造る。同時にA、Bの内包する概念から、Cの内包する概念を取り去り、残った概念のみを内包する基本語として改めてそれぞれA、Bとする。このような作業を、これまた暇にまかせてとことんやる。えい、今日は暇だから少々長くなるがとことんやるのだ。
 とことんやってみたとしたら、いったい幾つの基本語が、またどんな基本語が残るのだろうか。案外、昔も今も時代によらず、民族によらず、ほんの僅かなものになるような気もするのだが...。ただし、鉛筆一本借りるのに私の人生の大半を費やさなくてはならないかも知れないが...。
 (もっとも、我々は一生を費やして、たった一つのことを表そうとしているのかも知れないなー)
 (*)新明解国語辞典第二版小型版(三省堂)
(2000. 1.22)
 力学的量はすべて、長さ(m)、質量(kg)、および時間(s)の3つの基本単位の組み合わせで表される。電磁気的量まで考えた基本単位は、これらの他に電流(A)が加わる。

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