> 『数学的思考(?)エッセイ』 の試み

58. 人生は公平か
 人生には自分の努力や心掛けには関係なく、天の定めとしか思えないことがあるものである。 だいたい、生まれた初っ端からして、親を選べない。

 コインを投げると、表か裏が出る。仮に、表が出たら幸運、裏が出たら不運だとしよう。例えば10回コインを投げると、普通は幸運だったり、不運だったりするわけであるが、10回続けて幸運になることだってある。その確率は、
 (1/2)×(1/2)×(1/2)× … ×(1/2)=(1/2)10=1/1024  (1/2 を10回かける)
である。つまり、1024回に1回は、このようなことが起こってもおかしくはないのである。

 ところで、人生には、自分の努力や心掛けだけではどうにもならないことが何回くらいあるだろう。 親を選べないということから始まって、容姿はどうか、学校でいい先生に当たるか、いい友達にめぐり合えるか、才能はどうか、就職したところがどうか、仕事で成功するか、結婚相手がどうか、病気にならないか、頭が禿げないか、長生きできるか、生まれた子供がどうか、などなども多かれ少なかれ運を天にお任せするしかないことであるように思う。
 仮に、これらのことが幸運、不運のどちらかに分けられ、しかも、運まかせの項目が10項目しかないとしよう。 そうすると、10項目すべてが幸運という幸せ続きの人から、10項目すべてが不運という悲しい人まで、様々である。 一般に、10項目のうちr項目が幸運、残り (10−r) 項目が不運である人の割合はどれだけかというと、高校数学を用いて
  10r×(1/2)10
となることがわかる。ここで、10r は 10個のものからr個だけ選ぶ場合の数である。
 この様子をグラフで表すと次のようになる。

 

 やはり、10項目のうち半分の5項目が幸運である人の割合が最も多いが、10項目すべてが幸運、あるいはすべてが不運という人の割合は0ではなく 0.000977、すなわち、1024人に1人の割合でいるのである。
 運まかせの項目が10項目しかないなら、人生はとても公平とは言えないように思うわけである。

 では、運まかせの項目が50項目あるとしてみよう。 このときは、50項目のうち、r項目が幸運、残り (50−r) 項目が不運である人の割合は、
  50r×(1/2)50
となるが、この様子をグラフで表すと次のようになる。

 

 やはり、50項目のうち半分の25項目くらいが幸運である人の割合が多い。 50項目すべてが幸運、あるいはすべてが不運という人の割合は1京分の1、すなわち、もやは0といってもよい。 ただ、50項目のうち、35項目が幸運(不運)という人の割合は、約0.002、すなわち、500人に1人はいるのである。 これでは、まだ人生は公平とは言えないように思われる。

 いっきに、運まかせの項目が1000項目あるとしてみよう。 このときの様子は次のようになる。
 

 割合の分布は、幸運の回数が450〜550回あたりに集まっており、幸運な人と不運な人とでは、1000項目のうち100項目くらいの差はあるが、これくらいは許されるような気がするので、これなら人生はまあ公平であると言ってもいいように思う。

 果たして、すべての人の人生がある程度公平であると言えるほどに、運まかせの項目があるのだろうか。

 選べなかった親がどんな親であったとしても自分にとっては一番の親と思える不思議、あるいは、縁としかいいようのない配偶者、そして、どんなにできの悪い子でも我が子ほど可愛いものはない、などなどに象徴されるように、天に委ねざるを得ないと思っていることすべてには、もともと運、不運というものは付随してはいないのかも知れない。 おそらくそうであろう。 頭が禿げることや大病を患うことでさえにもである。
 悲しいことに素直にそう思えるほどに達観していない私は、ついこのような馬鹿げたことを考えてしまうのである。
(2003. 9.18)

**********************************************************************************
Copyright(C) Yokahiyokatoki