> 『数学的思考(?)エッセイ』 の試み

99. 数学的思考によるエッセイの難しさ
 (  )がないから何もできないという人は、(  )があっても何もできない

 (  )に適当な同じ言葉を入れよ、と言われたら何を入れるだろうか?

 月並みなところでは、“金(かね)” であろう。
 金がないから何もできないという人は、金があっても何もできない

 “時間” を入れる人も多かろう。
 時間がないから何もできないという人は、時間があっても何もできない

 “才能” ではちょっと微妙だが一応それなりの文章にはなる。
 才能がないから何もできないという人は、才能があっても何もできない

 入るものが色々あって、その度に何もしていない我が身を反省させられるので少々つらくなるのだが、もしここに、 “やる気” を入れたらどういうことになるか?

 やる気がないから何もできないという人は、やる気があっても何もできない

 これは明らかにおかしい。
 “やる気” のような意味合いのものを入れることはできない。なぜなら先の文章は、何かをなすということにおいて必要なことは “やる気” である、ということが言いたいことだからである。

 ところで、できることならできるだけ、ものごとを一般化、抽象化することが数学的手法である。その手法に基づいたら、次のようなものになる。

 何かがないから何もできないという人は、その何かがあっても何もできない。 何かとはやる気を除く何かである

 とたんに間の抜けたものになる。 “やる気” が重要であると言いたいのに、“やる気” という言葉を使ったのではおもしろくも何ともない。言いたいことを直接には言わないでそれを匂わせるだけに留めることで、却って想いを深くさせ、趣きが出てくる、というものなのに。

 科学の世界でも情緒というものが重要で、数学的エッセイと言えども趣きのある文章でありたいと願う私であるが、このあたりに数学的思考(?)によるエッセイの難しさがある。
(2004. 8.19)
 というような手法をこのエッセイではよく用いる。すなわち、『やる気さえあればなんとか事は成せる』 という(事を成すことが何も成さないより良い事なのかどうか分かってもいないのに世間でよく口にされる陳腐な)ことを自分も言うこっぱずかしさをあらわにしたくないために、数学的思考(?)によるエッセイの難しさがある、などと(本気で思ってもいないのに)別の方向を向いて締めくくる手法である。
 足が2本の鶴と、足が4本の亀が、あわせて8匹(羽)います。足の数はあわせて26本です。
 鶴は何羽、亀は何匹いるでしょう。
 有名な鶴亀算の問題である。いろいろな解き方、説明があるが私が心の底から分かったと思える解き方をある本で見た(「世にも美しき数学者たちの日常」(二宮敦人著:幻冬舎))。私流に書くと、こうである。

 ◆先生:あ、4本足の亀がいっせいに2本足で立ち上がったよ。今地面に着いている足は鶴と亀の全部で何本ある?
 鶴と亀あわせて8いるんだから 8×2=16本です!

 ◆先生:そのとおり! 最初足は全部で26本あったんだから10本減ったね。どうして10本も減ったんだろう?
 亀たちが立ち上がったからだよ。

 ◆先生:そうそう。ということは、亀は何匹いるということだ?
 亀は2本づつ上げているから、わかった 5匹だ!

 ◆先生:正解! 亀が5匹、残りは鶴が3羽ということだね。

 どうだろう。亀さんが2本足で立ち上がった景色が見える。これなら弱った私の頭でも分かる。分かったという喜びが湧いて来る。生きる元気が出てくる。(中学で習う連立方程式で解いても、分かったという気がしないので喜びも少ない)
 この喜びを「情緒」(数学者の岡潔)というらしい。

 何事にも情緒の漂う工夫をしたいものだ。(追記:2020. 2.19)

 ”わかる” とは感動することである。

 ”わかる” とは自分の内に存在する体系に分類し納めることができるということである。

 ゆえに、わかるためには自分の内に豊かな体系が存在していなければならない。
 数学をはじめとする学問を積むこと、深く想いを巡らし思考すること、修行を行うことは、自分の内に豊かな体系を育むことである。
 その体系こそが心というもの。

 あらゆるものについて、わかったというときこそが、心に分類納められ、感動が得られる瞬間である。それをなんとか現そうとして、さらに豊かな言葉や文学や絵画や音楽や哲学や数学が生まれる。

    (よかひよかとき「戯れ集」より)(追記:2020. 2.20)

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