> 『数学的思考(?)エッセイ』 の試み

57. 夢はこわしたくないのだが
 子供の頃に、一度はこんなことを考えたことはないだろうか。

 ・世界一周は1日でできる。ヘリコプターは空中で同じところに留まっていられるから、ヘリコプターに乗ってじっとしていれば地球が自転するので1日で世界一周ができるはずだ。
 ・好きな彼女の呼吸した空気を、自分が息をするたびに吸っているかもしれない。
 ・自分と全く同じ人間が、地球のどこかにいるんじゃあなかろうか。
 ・宇宙には、人間のような生き物がいるんだろうか。

などなどである。

 中学生の頃、本気で世界一周が1日でできると考えていた。汽車に乗っているときそのことを兄に話した記憶がある。
 「汽車の中で飛び上がっても床の同じところに落ちてくるが、もし船のデッキで飛び上がったら海に落ちるから、ヘリコプターで高く上がってじっとしていればいい。月に住めば、毎日世界一周できる。」
 中学生の無茶苦茶な論法であるが、確かに月にいれば24時間で地球の一周が見られる。

 中学生の頃に比べれば少しは科学的知識も増えたように思うので、今日はこんなことをちょとだけ(専門家による参考図書をたよりに)大人として考え直してみようか。

アインシュタインの吐いた空気を、自分が息をするたびに吸っているかもしれない。
  (参考図書:逢沢明著「複雑な、あまりに複雑な」(現代書館))
 まず、地球をとりまいている空気のおおよその総量であるが、
  地球の半径 R≒6400km=6.4×106m、 呼吸できる空気の層 H≒3km=3.0×103m
として
  空気の総量≒(地球の表面積)×(空気の層)
          =4πR2×H=4×3.14×(6.4×106)2×3.0×103=1.5×1018m3
である。
  人の一回の呼吸量≒1000cc=1.0×10-3m3
としよう。この量は、空気の総量に対して
  =(1.0×10-3)÷(1.5×1018)=(1/1.5)×10-21
の割合でしかない。
 ところで、空気の分子は風や拡散によって1年余りで地球を1周する。だから何年も前にアインシュタインが吐いた空気は、ほとんど完全に地球全体に混ぜ合わされてしまっていると考えられる。
 そうすると、昔アインシュタインが吐いた空気は、いま自分が1回吸い込む空気の量1000ccの中にもやはり の割合で含まれているとしてよいので、
  1回の呼吸でアインシュタインが吐いた空気を吸う量=1.0×10-3×(1/1.5)×10-24m3
となる。これは、とてつもなく僅かな量である。
 ところで、ここで高校で習ったアボガドロ数というものを思い出してほしい。すなわち、
  アボガドロ数 N=6.02×1023個の分子からなる気体は、0℃、1気圧のもとで 22.4リットルの体積を占める。
このアボガドロ数個の分子からなる気体の量を1モルというのであった。したがって、0℃で1気圧のとき
  1m3の空気の分子の個数=1÷(22.4×10-3)×(6.02×1023)=2.7×1025
この数はとてつもなく大きい。
 先のとてつもなく僅かな量に、このとてつもなく大きな数を掛けたものが、いま自分が1回の呼吸をするとき、昔アインシュタインが1回の呼吸で吐いた空気を吸い込む分子の個数なのである。計算すると
  (1/1.5)×10-24×2.7×1025=18個
となる。
 アインシュタインが76年間の生涯で呼吸をした回数が約4億回とすると、おおよそ
 いま1回息をするとアインシュタインが吐いた空気の分子を70億個
も吸い込んでいることになっているのである。
 アインシュタインが呼吸をした約4億回について、自分自身が何度も同じ空気分子を吸ったであろう、などというような細かいことを考慮したとしてもこの結論はそう大きく変わることはないだろう。
 要するに、アボガドロ数という数がとてつもなく大きいということである。われわれは毎回毎回 2.7×1022もの空気分子を吸っているのである。アインシュタインが吐いた空気の分子はそのうちの僅か70億=7×109個、すなわち0.00000000001%程度しかないということである。残りの 99.99999999% 分は他の人の吐いた分を…。
 アインシュタインが吐いた空気分子を吸ったからといって頭がよくなるわけでもなし、好きな彼女の吐いた空気分子を吸ったからといってどうということはないわけであるが、この結論を当時の中学生の自分に教えたらどのように思うだろう。

宇宙には、人間のような生き物がいるんだろうか。
  (参考図書:J.A.パウロス著「数字オンチの諸君!」(草思社))
 銀河系には,約1000億個の星があり、その 1/10 に惑星があると考えられている。すなわち、100億個の星が惑星を持っているとされる。
 100億個の星の内,生命ゾーンのなかに惑星を持つものは 1/100 とすると、1億個の星が可能性を残す。
 だが、大半は太陽より小さい星なので、その 1/10、 すなわち 1000万個 の星が生命のいる惑星を持つ可能性がある。
 このうち 実際に生命がいる星が 1/10 と考えると、100万=106の星に生命がいると考えられる。

 これだけの星がありながら、地球に住むわれわれ人類が何も発見できないわけとして、次のような3つの理由が考えられる。

 1.空間的理由:銀河系の容積は、1014立方光年。生命のいる星 106個がこの容積の中にまんべんなく分布しているとすると、1014÷106=108立方光年に1個の割合で生命を持つ星があることになる。
  1立方光年=(1光年)3  (1光年は光が1年間に進む距離)
だから、生命のいる星同士は互いに、(108)(1/3)500光年離れている。
 2.時間的理由:生命の存続時間が仮に1億年として、銀河の歴史が120〜150億年であるから、同時に進化した生命が存在する星は、1万個以下。そうすると、隣人の星までの距離は、先の計算をやり直して、(1010)(1/3)2000光年以上になる。
 3.生命が存在するとしても、われわれ人間と意志の通じる形態である可能性は低い。

というのだそうである。
 すなわち、この広大な宇宙には100万個もの生命のいる星があると考えられるが、われわれ人類がそれらとなんらかの接触をもつ可能性はほとんど0であるということである。この結論を当時の中学生の自分に教えたらどのように感じるだろう。

 自分と全く同じ人間が、地球のどこかにいるんじゃあなかろうか、という中学生の頃の考えは、人間の顔形や性格人格などもろもろのことを決定している因子があるに違いなく、ならばそれらの組み合わせの数だけの人間しかできないはずだから、永い人類の歴史の中では自分と全く同じ人間ができるに違いないという思い付きであったのだが、最近はクローン技術とやらで本当に全く同じ人間ができるとかできないとか…。

 子供のころの夢を壊してしまうのが大人になることでは、どうにもつまらないような気がするこの頃である。
(2003. 5.10)

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