内の娘が通う小学校の近くの交差点で、同じ小学校に通う子供が交通事故にあった。保護者会か何かで、この交差点にぜひ歩道橋を設置してもらうために、陳情書を書いて署名を集めて町に提出しよう、ということになり、家内がその文案をたのまれたらしい。そういうことなら、私が間違いのない正しい陳情書を書いてみよう、という気になった。
どこにも偽りや間違いはない(かわいい娘をもつ親の気持ちが正直に表現された文章である)と思うのであるが、なぜか家内には全く取り合ってもらえなかったぞ。 図書館でうろうろしていたら、数学のある分野で、前々から勉強してみたいと思っていた書名の本が目に留まった。数学書に しては厚さが薄いのに気をよくして、"はじめに" に目を走らせてみると、 「この本を読むにあたっての必要な数学の予備知識としては、大学の初年級で学ぶ数学の基礎だけである。」 と書いてある。私の専門は物理であって数学科を出たわけではないのだが一応大学の初年級の数学の単位は取ったので、これなら私にも読破で きるだろう、というわけで借り出してきた。 ところがである。最初の1ページの1行目から、1回読んだだけでは自分で解ったという気がしないのである。2、3行を理解するの に何回も何回も行きつ戻りつしながら、なんとか解ったような気分になって次の行に行くと、また解らない。これの繰り返しである。そう こうしていると、前に解ったところを今度は忘れてしまっている。また、前に戻って復習である。こんなことをしていると、今何をやろう としていたのかが解らなくなってしまう。これではどんなに時間があっても、最後まで行き着くどころではない。見事な挫折である。 頭の回転速度、記憶力、記憶容量、集中力、忍耐力、何もかもが寄る年波には勝てないことを確認しただけであった。 ちょっと複雑で高度なことを理解するには、予備知識も必要であろうが、記憶力や記憶容量などその他が必要である、ということである。最近 「サルでもわかる経済 …… 」とか、「イヌでもわかる金融 …… 」のような書名の本があるが、このような本でもわからない 私はひょっとしてサルやイヌ以下かも知れないとは思うが、ここはもう少し親切に、偽りや間違いのないように、次のように書いておいてほしいものだ。 「この本を読むにあたって予備知識はほとんど必要ないが、この本を読破するにあたっての必要な力は、相当の理解力、記憶力、記憶容量、集中力、忍耐力である。そして、他のいくつかの本を参考にしながら解らないところは解るまで繰り返し考え、それでも解らなければ詳しい人を捕まえて丁寧に解るまで教えてもらうことができ、サルが人間に進化するほどの年数がかかっても絶対に途中で諦めないで根気よく頑張るなら、この本はサルのようなあなたにでも理解できるかもしれない。」 こんな本は誰も買わないか? (2002. 1.14)
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我々の脳はしばしば「正確という烈しい病」(by ヴァレリー)にかかる。あやふやな物や現象を、これまた全く曖昧な言葉で表すことに、どうにもいたたまれなくなるのである。人は、数学の厳密さに救いの光を求め、コンピュータの潔癖さにスッキリするのである。厳格な数学は美しい豊かな文化をつくり、潔癖なコンピュータは豊かな文明を築きつつあるのである。 しかしながら、これはやはり「病」である。自然は不確定性を原理に宇宙を造り、人は曖昧さにより生きることが可能なのである。 |