> 『数学的思考(?)エッセイ』 の試み

6. 言葉は心で聞け
 娘の通っていたS小学校の担任のM先生は、子供たちを厳しくきちっと躾ける尊敬すべきすばらしい先生である。ほとんど毎日、その日の子供達の様子や子供の作文、それに先生の感想などを書いたプリントを作り子供に配布されていた。さすが小学校の先生、文章は分かりやすく内容がいい。われらうす汚れた大人には耳が痛いような言葉もたびたびであった。
 時にはそのプリントには小さな空欄があって、これを読んだ保護者からの感想などを書いて子供に持たせるようになっていることもある。ある日のプリントに、
 「他人の悪口は言うまい。それを一番先に聞くのは、自分の耳だから」
と書かれてあったときはいたく感動したのだが、保護者からの一言の欄に書くべきことに事欠いて、
 「今度からは他人の悪口を言うときは、耳をふさいで言うことにしよう」
と書いて渡した。
 「耳をふさいでも、言葉は心に聞こえます」
というコメントを付けて返していただいた。
 子供たちはこのような先生の教えを素直に受け入れて健全に育ってほしいものだ。

 その先生が、地球の「緯度」と「経度」を教える理科の時間、黒板のすみからすみまで忙しくあちこち動き回って文字や図を書きまくり熱弁を振るって説明をしたあと、
 「いいか、よーく覚えとけよ!」
と言って教科書をふと見てから、
 「あ、反対だ」
と言われたそうだ。つまり、「緯度」と「経度」の説明が反対だったわけだ。これには子供たちも大爆笑で大喜び。おかげで内の娘は、今でも「緯度」と「経度」はよーく覚えている。

 数学および物理教師をしている私の場合には、このような冷や汗を掻く間違いは一度や二度ではない。三度や四度でもないような気がする。五度や六度だというと嘘になる。早い話が数え切れない。(自慢にならない、まったく!)。十分予習をしてノートを作り、要点をきっちりまとめて授業にのぞめば間違うことも突っかかることもないが、初めて聞くことばかりの学生にとっては極めて理解しにくいことになる。テキストやノートを見ながらしゃべれば安心だが、それでは緊張感がなく話に熱がこもらない。チラッと見ただけで話すためにこのような間違いをしでかすことになる(それだけが原因ではないような...)。幸い優秀な学生に助けられて大した混乱にはいたっていない...(と言い切るとこがすごい)。
 「先生、あそこはこうではないですか」
と学生から指摘されたときは、
 「ああ、そういう意見もあります」
と言いながら直す。
 「先生、そういう意見しかないんじゃあないですか」
と生真面目な学生から突っ込まれたこともあるが...。そんなときは、「言葉は心で聞いてほしい」ものだと思う...。
(2000. 1.14)
 「自然は数学という言葉で語られている」(ガリレオ・ガリレイ)
 「心で見なくちゃ, ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは, 目に見えないんだよ」(サンテグジュペリ)
 「人為的な方法で見つけた自然はほんとうの自然ではなく、自然はもっと生き生きとしたものだ」(げーて)

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