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ウォーキング、ジョギングの勧め!


       ちょっとは役に立つかもしれないインタビュー (陸上部部報第3号(H14.12)掲載)


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ウォーキング・ジョギングの勧め


 次回も締め切りまでに原稿を出してもらえそうにないので、早目にインタビューにやって来ました。私の方で格好をつけてまとめますから、短めにお話を...。
 「ああ、そうですか。この前はどこまで話しましたかね。そうそう、人生は折り返してからが速いということについて...」
 あの、その話はもういいですから、今回は少しは陸上部の部員のためになる話をしていただけたらと思っているのですが。
 「いつもためになる話しかしてないつもりですが...。じゃあ、『磨針峠(すりはりとうげ)』という絵のことでも話すかな。」
 え(絵)!、絵の話ですか。今日は駄洒落は無しですよ。
 「先に君に駄洒落を言われてはやりにくい。今日は洒落はよしましょう。この話は、今年の7月26日の朝日新聞《天声人語》で知ったのだが、その受け売りです。感動したので、とりあえず図書館に行って美術書を見て来ましたよ。
 この絵には物語りがあります。厳しい修行を重ねたがどうしても開眼できずあきらめてしまった僧侶がいた。故郷に帰る旅の途中、一人の老女に出会う。老女は、1本しかない針(はり)が折れてしまったので、斧(おの)を研ぎきって針を作ろうとしている。なんと気の遠くなることだろう。これをみた僧侶は自分の甘さに気付き、再び修行しようと決心をする様を描いたものです。描いたのは小倉遊亀という画人だけれど、その人はこう言っているそうです。
 『何はあれ、自分の力のありったけを尽くしたい。絵の上のみならず、うそを言わず、いいわけをせず、へこたれず、生(き)のままにやってゆくこと。画家の「絵描(えか)き臭」はこまりもの、いつまでも素人としての初心(うぶ)さ 、新鮮さで生きてゆきたい。』(2000.7.26 朝日新聞(天声人語)より引用)」
 はあ、いい話のようですね。
 「いい話です。なにかを掴むためには、斧を研いで針をつくるように気の遠くなるような根気と強い意志をもって誠実にやらないとだめだということだな。」
 先生も、何か実際にこのような体験をおもちでしょうか?
 「私の場合には、数学や物理の問題に、解けるかもしれないと思って取り組んで何日も費やして計算してみたけれど、結局生き詰まってしまってなんにも得るものがなく、何もしないで寝ていたほうがよかったなあと思うようなことばかりだな。斧を研いで針をつくったのはいいが、その針が使い物になったことがなくて、一から何回もやり直している最中だな、うん。」
 それは全然自慢にならないと思いますが...。まあ、今回は(受け売りだけに)前よりは役に立つお話だったような気がします。いくら練習しても自分だけがいい記録が出せず、部を止めたいと思ったことも度々ありますが、そんなとき思い出してみます。今日は、お暇なところありがとうございました。(2000.8.15)





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